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僕のパニック障害の予防策と経験のご紹介

【僕のパニック障害の予防策】
パニック障害を起こすようになり12年が過ぎました。これまでの経験上、パニック障害を再発する環境・状況が明確になったので、
それらを避けて生活しています。以下に示す再発する環境・状況さえ避けていれば、薬いらずで生活できます。逆に再発する状況下では、薬を増やしても効果がありませんでした。
僕がパニック障害を再発する環境・状況
①人が多い場所、混んでいる電車・バス、居酒屋
②狭い空間(人がいなくても)、地下鉄駅(地下空間含む)、映画館
③肉体疲労、仕事の納期が短くてプレッシャーになること
④床屋・美容室(結構苦手)

上記の環境・状況は何度挑戦してもダメでした。たまになら大丈夫ですが、毎日続けると体調が崩れます。
なので、これらを避けて、株・FX・アフィリエイト・在宅ワークで生計立てられるか挑戦することにしました
「html」と「java」を勉強し始めました。(機械設計者ですが、幅を広げて在宅ワークするため)











2005年8月~12月
2005年8月は連日深夜残業+土日も出勤でした。8月後半は土日も深夜残業していました。
7月は時間外労働が100時間超えていたので、8月上旬に産業医と面談がありました。
8月は100時間をはるかに超えていました。


2005年8月下旬 異変は突然来た
超多忙の中、異変が突然来ました。いすに座って仕事しているだけなのに動悸が妙に速い
明らかにおかしな動悸の速さに不安になり、会社近くの病院(開業医)に行きました。
診察の結果は、「狭心症の疑い」とのことでした。今日の夜、具合悪化するかも知れないと言われ、ニトログリセリン(頓服薬)を処方されました。
言われた僕は、ものすごく驚いたし、テレビでしか見たことないニトログリセリンが本当に薬であることにさらに驚きました。
そのまま会社の独身寮に戻り、半日ほど過ごし、夜11時過ぎに歯磨きしていたとき、医者の言うう通り心臓に異変が起きました。
心臓がもんどり打っているように暴れる感覚、動悸が強く不自然な状態に襲われ、共有の洗面所から自室に慌てて戻り、ニトログリセリンを口にしました。
かつてない心臓の変な動悸と、医者に言われたとおり悪化したこと、さらには薬を飲んで治まったことで、自分は本当に狭心症なのだと受け入れざるを得ませんでした。
ですが、それで治まりませんでした。日付が変わった深夜1時ごろ、3時ごろ、4時ごろと動悸が乱れました。その度に薬を飲みましたが、4時ごろからは薬が効かないし、こんなに何錠も服用して良いものか不安になり、タクシーで総合病院に行こうと寮を出ました。
大通りまで歩いている途中、また動悸がおかしくなったので、救急に電話しました。救急の電話対応の人に、「今、最寄りの消防から出動しました。大丈夫ですよ。気持ちをしっかり持ってください。」と励まされながら、救急車の到着を待ちました。この励ましはとても有効でした。救急車が到着した時は、発作が治まっていたのですが、総合病院まで乗せてまらいました。人生で初の救急車、搬送先の病院を探すのに時間が結構かかることを体験しました。狭心症の疑いでニトログリセリン服用した症状を病院に伝えると、病院に尻込みされてた感じでした。

朝5時ごろ、病院に搬送されました。心電図、エコー検査などしている最中、医者が狭心症の確定検査のため、カテーテル検査したいと言い出しました。カテーテルは手首の血管から検査器具を入れて冠動脈付近で狭心症を誘発する薬を入れて、心臓の反応を診るものだと言っていました。僕は一人暮らしだったので、委任状が足りず、両親が到着してからということになりました。
朝6時か7時、実家に電話にして、事の次第を説明しました。
8時ごろ職場に連絡しました。僕の上司が病院の近くに住んでいたため、出勤前に立ち寄ってくれました。どのような会話をしたかは、全然覚えていません。
午前10時ごろ、トレッドミル検査(ルームランナーしながら心電図)しましたが、異常なし。
午後1時頃、両親が到着。普段は飛行機に乗らないのに羽田から飛んで来てくれました。

搬送先の病院でカテーテル検査の予定でしたが、僕が微熱が続いたので見送りになりました。
職場に休暇を申し込み、実家に戻って療養することになりました。
新幹線で東京駅まで行き、そこから高速バスで実家に帰宅しました。
その道中も何度も、胸が苦しくなり結構大変でした。母親がついていたので、気持ちは少し楽でしたが。
帰宅後も動悸が変だったので、循環器病センターで診察をうけました。
私が当時31歳なのと、心電図、胸部レントゲンで胸の幅に対して心臓が大きくなっていないという理由で、
狭心症の可能性は低いと診断されました。

しかし、血管を広げる薬と体に貼るシールを処方され、様子を見ることになりました。
薬はグレープフルーツと飲み合わせ禁止だったと記憶があります。
9月、本社人事部と面談
僕のことが本社人事の耳に入って、本社から人事2人が僕のいた製作所に来ました。個室で2対1で面談しました。
人事曰く、
「①労災申請と②傷病手当申請の2つあるけど、どうしますか。労災申請すると労災が認められるとしても、労災認定されるまでの半年くらいは無給だよ。傷病手当にしておきなよ。」
僕は独身でしたので、半年くらいは無給でも良かったのですが、人事の言い方が僕をおもんばかって「傷病手当にしておきなよ。」と言ったように聞こえてしまったので、傷病手当を申請しました。今でもこの選択は間違いだったと思っています。
人事とどんなに関係がこじれても、労災申請すべきでした。当時の僕は、一時的な体調不良だと思っていたので仕方ないですが。
2005年9月~12月、職場と実家で療養の繰り返し
動悸の乱れは減りましたが、左胸から左腕の肘にかけてシビレがある状態が続いていました
あまり休める仕事状況でもなかったので、また新幹線で職場近くの寮に戻り、勤務開始しました。
しかし、職場に近づいたりすると、動悸が乱れました。やせ我慢して働いて大変つらかった。
一人暮らしと仕事が辛かったので、再度、休みを取り、実家に帰宅して療養しました。
回復しては、仕事復帰しましたが、状況は同じ。僕が職場に行けないように呪われていると錯覚する状態でした。
1~2週間ごとに仕事復帰と実家で療養を繰り返しました。
循環器病センターでは24時間心電図記録、ウエストポーチにテープレコーダー入れたもので記録しました。
実家にいる時の検査だったので、異変は記録されませんでした。洞性頻脈ということでした。
循環器病センターも打つ手なしという結果で、心療内科の受診を勧められました
僕の気持ちは、こんなに動悸が乱れるし、左胸のシビレはあるのに、「心臓に異常なし」ってどういうことだと理解できませんでした。
少し余談ですが、大晦日のK1を見ると動悸が悪くなりました。K1を好きでしたが見れなかったです。


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プロフィール

panic1panic2suzuki

Author:panic1panic2suzuki
12年前、過労でパニック障害→休みを使い果たして解雇。
回復して社会復帰→体調崩して退職。これを繰り返しながら頑張っています。


機械設計者ですが、「html」と「java」の勉強を始めました。(仕事の幅を広げるため)

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