にほんブログ村 メンタルヘルスブログ パニック障害へ
にほんブログ村
<<======<<======<<======<<======<<======ランキングのボタン全部押して頂きたいです(押すのはタダです)

社会復帰5回目(9か月間)

他県に引っ越して派遣社員をしました。
「残業ほぼなし」の条件を第一にして探しました。時給は前職より下がりました。

設計と製品試験の仕事でした。就業先が残業を極力しないという取り組みだったので、とても良かったでした。
勤務時間は忙しいかったですが、派遣は定時でぴしゃっと帰れたので満足でした。

昼休みに「自律神経のバランスを整えるCD」を聞きながら昼寝していました。

この9か月間は、パニック障害になってからで最高に体調が良かった。
治ったのかと錯覚するほどでした。


ただ、夏、作業所がとても暑かった、室内なのに37℃。大きなクーラー使ってましたが、建物内にいきわたらなかった。
この暑さに目まいを起こすようなりました。10月になって気温が27℃とか一瞬なったときも、目まい再発。
部屋でも暖房が強いと目まいを再発しました。体が厚さに拒否反応するようになりました。

「自律神経のバランスを整えるCD」は今でも時々聞いてます。
寝ちゃいそうになる音楽が体・神経の緊張をほぐして、いい効果なのだろうと思います。

スポンサーサイト

社会復帰4回目(2年9か月勤務)

土木現場の肉体労働が僕のうつ病に悪かったので、派遣会社で仕事を探しました。
「機械設計図面を読解できること」という応募条件が実家の近くにあったので、応募しました。

4月1日から派遣契約を開始しました。
設計部は穏やかな日々で手順書に従って作業していれば良くて、僕にはいい環境でした。正直なところ、僕を増員しなくても、良いのではないかと思ったほどでした。

1日に残業2時間を1週間通してやってみましたが、体調崩れ出したので、残業に挑むのは止めて、ここを長く続けることに気持ちを変えました。

1年くらい、ほぼ定時で帰っていましたが、設計の負荷が増えた時、部長から直々に「残業せめて月に40時間」と言われました。
その日の夕食時、僕は両親にその事を告げ、とてもできない状況だから、契約を止めるかもと話しました。
翌日、部長・副部長・課長・ベテラン社員に僕のこれまでの経緯、ふつうに頑張れないから派遣をしていることを告げ、契約終了で構いませんと言いました。
意外なことに、病気に理解があり、これまで通り「僕のできる範囲で仕事してよい」と回答がありました。
僕は初めて、理解があって寛大な人たちに会ったと思いました。とてもありがたいと思いました。


2年くらいしたある日、職場の消防設備の点検がありました。
職場のフロアーは壁で仕切りがなく、フロアー中央部は上階と吹き抜けでつながっていて解放感がある構造でした。
点検の時に点検者が誤って防火シャッターを降ろしてしまいました。天井から床に向かってシャッターが降りて、僕がいる側が広さ1/3くらいで密閉されてしまいました。密閉されてから1~2分後、動悸がすごい強くなり出しました。

自分で落ち着くように言い聞かせてましたが、あまり落ち着かず、この数年は大丈夫だったので、薬も持っておらず、
とても困りました。部長席の後ろの窓を開けさせてもらい、窓から外を見て、僕が密閉されていることから気をそらすように
しました。そうこうしている間に防火シャッターが上がりだしたので、僕も落ち着き始めましたが、体が拒否反応を示したので
その後も辛かった。玄関から外に出て、深呼吸しましたが、あまり効果なく医務室に行きました。血圧を測ったら、上が140くらいありました。普段は上が100台なので。これで目まいの正体がわかりました。急に血圧が上昇したことで目まいを起こしていたと。僕の想像では、体が拒否反応した時は交感神経が活発になり、血管が細くなり血圧上昇を毎回起こしていたのだと。
その日は医務室で休憩後、早退しました。

幸いにも直ぐに回復して、翌日も出社できました。しかし、フロアーに入って30分くらいは、足が少し震えていました。体がこわばってしまった。仕事中も少し辛かった。だるさが上乗せされた感じでした。これが1週間くらい続きました。

その後も、設計の負荷は高い状態が続いていました。
僕が頑張れない理由を広げたら、「そんな派遣は契約を止めてしまえ」と言う人もいたかも知れなかったし、人事の耳に入ったらマズイので、僕は言わずに残業続けたり休日出勤しましたが、体調が一気に崩れ出したので、契約期間中に貯めていた有給を消化して契約満了でお仕舞いにしました。当然、診断書を添えてですが。(僕は派遣会社の正社員でもなかったので、契約期間中しか有給使えなかったので)






社会復帰3回目(6か月)

設計の派遣が終わった後、設計で仕事を探さず、父親が務める土木現場にアルバイトしました。
デスクワークがダメなのかなと思ったのと、また探すのに日数がかかるのが嫌だったので。
ですが、土木現場でアルバイトしたことで、自分の症状について意外と多くの事がわかりました。

肉体労働(スコップ作業など)は、肉体疲労からうつ病が再発して、やたらと体がしんどかった。
なれないことで疲れたのとは異なる感覚、体を動かすことに抵抗感がありました。
雨で現場が休みになったときは、すごい助かりました。日給月給なので収入は減りましたが。

②1番大きな発見は、道路に沿って幅が狭くて深い穴に降りて、配管を設置した作業のときでした。
はしごで穴の底まで降りて、1,2歩歩きだした瞬間、動悸がとても強く心臓が暴れる感覚になりました。
びっくりした僕は急いで、はしごを上りました。頭がアスファルトより出たところで、その発作がピタッと
止みました。僕は気のせいだったのかと思って、再度はしごを降りました。やはり1,2歩歩くとまた動悸が
強くなりました。気のせいでないと思って、はしごを上がってアスファルトの上に出ました。

この経験で初めて、僕の気持ちの持ち方ではなくて、体が周囲の状況に反応して、心臓が暴れる感覚に
なっていたとわかりました。

「この図面を今日中に」と言われて、僕が焦って動悸が早くなったこともありましたが、
体が拒否反応したときは、動悸の強さのレベルが何倍も大きかった。2005年8月、僕が初めて発作したときのレベルでした。
この時、体が何に強く拒否反応したのか、わかりませんでしたが、この後も再発した状況から、幅が狭いところにいたこと
でした。

③U字溝を設置したとき、U字溝どうしのスキマにセメントを詰める作業のとき、1cmくらいのスキマにセメントを詰め続ける
作業が意外にも神経を使ってストレスがたまり、うつ病を起こしました。2日目は作業初日より、仕事の速度が遅くなっていました。
普通は、慣れて早くなるのですが。

これらの経験で、
僕の気持ちが「パニック障害」と「うつ病」を起こしたのではなくて、体が周囲の状況やストレスに反応したことによるものだったと分かりました。しかも、体が拒否反応した場合は、気持ちが焦った場合より何倍もひどいということも。













社会復帰2回目(3か月) その2

8月のお盆休み休み後、朝方、胸が熱く苦しくて目が覚めました。動悸も早かったので、部屋にいて、
なぜパニック起こしていたのか、わかりませんでした
。胸がやたらと痛い熱かったので、会社を休んで病院に
いきました。心電図をとっても異常なしでした。医師が心臓の後ろに食道があるから、念のため後日に胃カメラ検査
しましょうということになりました
。検査の予約をして帰宅。しかし、胸が痛い熱いが続きました。あまりに辛かったので、
翌日も休みました。結局、検査当日まで全部休みました。毎朝、職場に電話するのも、非常に辛かったでした。

検査当日の検査1時間前に、派遣会社の営業から「僕の次期契約更新はない」と連絡がありました
原因が精神的なことであろうがなかろうが、契約更新しないという判断、1週間休んだし、仕方ないと思い、
すんなり了解しまいた。

検査の結果は「逆流性胃食道裂孔ヘルニア」でした
僕が心配していた精神的なものでなくて、安心しました。
てっきり、僕の気持ちのせいで「胃潰瘍」とかになったのかた思っていたので。
胃酸を抑える薬をもらったところ、確かにすぐよくなりました。

就業先に結果を伝えたところ、精神的なことではなかったのかという驚きの顔をしていましたが、契約が伸びる
ことはありませんでした。
僕もポカミスが多かったので、「契約更新お願いします」とまで言う気になりませんでした。
9月上旬には、勤務時間が普通に戻りました。
その後、9月下旬まで勤務して、職場の皆さんにご挨拶して、お仕舞いでした。



















社会復帰2回目(3か月) その1

2011年1月~6月中旬
新年早々から再就職活動。
去年の3か月働いたことが社会復帰できた実績だと思った僕は、企業に中途採用で応募しまくりましたが、
前回同様、「貴殿の採用をお見送り……」ばかりでした。僕は社会復帰できたつもりでしたが、
日本の古き良きメーカーの人事には、そうは思われなかったようでした。
また、メーカー直接雇用は諦めモードになり、派遣も含めて応募しました。

それと同時に、最初に勤務した会社の対応が悪いと思っていたので、僕が体調悪くしたときの設計部のGMに、
僕を救済して頂きたいと手紙をおくりました。2週間くらいして出た回答が、

「いろいろ当たってみたが、君の力になれない。」とのことでした。
散々、会社のため設計部のため、僕は時間外労働を2か月続けて100時間超えしたのに。
あの会社は僕のために無理をしなかった。心底うんざりしました。


仕方がないと思えませんでしたが、自分で仕事に応募→採用見送りを繰り返していました。
そのように過ごしていた中、3月11日、東日本震災。震災後は求人が激減しました。
6月に求人が出始めたので派遣で応募、採用されました。
この会社の親会社は、中途採用で不可だったところでした。内心は面白くなかったのでしたが、派遣契約しました。

2011年6月下旬~9月末
機械メーカーの子会社の設計で、派遣社員を開始しました。
ここで初めて「うつ病」の症状を経験しました。
今迄は、パニック障害に悩んでいましたが、今回はうつ病が主でした。
(数年前に軽症うつ病エピソードと診断されましたが、その時はうつ病の実感は全くありませんでした)
僕とパソコン画面の間に「分厚い透明なクッション」のようなものがあって、僕が仕事に取り組むのを邪魔していた感覚でした。
なぜか、頭が回らなかった。ポカミスが多かった。僕は真剣に図面・部品表をチェックしていたのですが、
結構ひどいポカミスもありました。僕はポカミスのひどさに、初めて「就業先に申し訳ない」と思ったほどでした。
理由はわかりませんが、頭が思考停止!仕事に取り組むのですが、何かに阻害・妨害されていた感覚ばかりでした。
自分が持っていた能力が出せなかった。不思議な状態でした。

震災後の夏の電力対策で、会社の平日の消費電力を減らすため、休日を土日から平日に変更、
さらに隔週で週休3日にするため、定時を1時間くらい延長されました

そこから残業開始という就業時間に変更されたと思います。(正確なことは忘れましたが)
この時間変更が僕には、とても厳しかった。週休2日、隔週で3日あっても回復が全然できなかった。
帰宅後、お風呂洗う余裕もなかったので、ずっとシャワーでした。夏だから、それでも良かったのですが。
1人暮らしだったので、身の回りのことをかろうじて1人でやっていました。非常につらかった。



社会復帰1回目(3か月間)

社会復帰1回目
大手メーカーの子会社の設計に派遣で勤務しました。
製品が今までとジャンルが異なり新鮮でした。

勤務して気付いたのは、意外と僕が治っていなかったことでした。
「この図面、今日中に仕上げて」の何気ない一言に、僕が焦って、動悸が強く速くなった。
軽く目まいをしたりしました

残業していたら、結構、しんどかったりしました。

前職を辞めた理由を隠していたので、周囲に悟られないように顔に出さないようにしていました
建屋の1階だったので、外に出て深呼吸したり、周囲に気付かれないように薬を飲んだりしました。
都内の心療内科で処方されたパニック障害を起きた時に飲む頓服薬(確か、ユーパン)を飲みました。
すぐ効くときと効かないときがありました。
飲むと10分~20分後に、あくびが数回出ました。緊張をほぐすのでしょう。

新製品の開発案件でしたが、僕が参加したときには、スケジュール遅れ気味でした。
僕は、しんどいことを言えずに仕事頑張っていました。
電車通勤がパニック障害に悪影響だったので、職場に歩いて行けるところにワンルームを借りました