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僕のパニック障害の予防策と経験のご紹介

精神障害者保健福祉手帳3級を取得。
手帳

僕はパニック障害を克服できないので、以下の予防策をしながら、静かに暮らしています。

【僕のパニック障害の予防策】
パニック障害を起こすようになり12年が過ぎました。これまでの経験上、パニック障害を再発する環境・状況が明確になったので、
それらを避けて生活しています。
以下に示す再発する環境・状況さえ避けていれば、薬いらずで生活できます。
逆に再発する状況下では、薬を増やしても効果がありませんでした。

僕がパニック障害を再発する環境・状況
①人が多い場所、混んでいる電車・バス、居酒屋、地下鉄駅(地下空間含む)、映画館
②狭い空間(人がいなくても)、MRI・CTスキャン、耳鼻科の聴力検査の小部屋
 回転ドア(一瞬ですが凄い恐怖感)
③コーヒー(カフェイン)、飲むと数分後になる、再発率100%
④肉体疲労、仕事の納期が短くてプレッシャーになること
⑤床屋・美容室(結構苦手)、混んでいるときのお店のレジ


これらの環境・状況は何度挑戦してもダメでした。たまになら大丈夫ですが、毎日続けると体調が崩れます。



僕の持論ですが、
パニック障害とは体(脳の深い部分と心臓)が危機に反応して起こると思います。
本人の意識(大脳新皮質)がどう思っているか関係ないと思います。


僕の意識では怖い場所でなくても、心臓が勝手に恐怖時の反応を示します。
そうすると気持ちがそれに引きつられて、強力な恐怖心を覚えます。

普通なら、「意識・気持ちが恐怖を感じる」→「心臓が恐怖感のドキドキをする」ですが、
パニック障害を起こす僕の場合は、何かの拍子に「心臓が恐怖感のドキドキをする」→「意識・気持ちが恐怖を感じる」という順序です。心臓の恐怖感に引きつられて、気持ちが強力な恐怖心を覚えます。


海外の心臓移植を受けた人が、その後、趣味趣向が変わった、音楽の趣味が変わったなどという事例をテレビで見ました。
体(心臓)が、意識(大脳新皮質)に影響を強く与えていると僕は思います。

僕は本人の意識の持ち方だけで、パニック障害が治るとは思いません。
僕自信も数年間、パニック障害を起こさなかった期間があり、
治ったものだと思っていましたが、

それは単に、僕の体がパニック障害を起こす環境に遭遇していなかっただけでした。




【これまでの経験】
2か月連続で時間外労働100時間超えました
7月は時間外労働が100時間超えていたので、8月上旬に産業医と面談がありました。
※残業時間をすべて申請してはいけないと、新入社員のときに教育を受けていたので、実際の残業時間はもっと多いです。
この時は、まだ何ともありませんでした。
地方都市⇔都内の日帰り出張も結構ありました。
7月、僕と同じ課長の下にいた社員1人がメニエール病で職場離脱しました。
8月は連日深夜残業+土日も出勤でした。8月後半は土日も深夜残業していました。
8月は100時間をはるかに超えていました。


8月下旬 最初は心臓発作かと思いました
超多忙の中、異変が突然来ました。いすに座って仕事しているだけなのに動悸が妙に速い
明らかにおかしな動悸の速さに不安になり、会社近くの病院(開業医)に行きました。
診察の結果は、「狭心症の疑い」とのことでした。今日の夜、具合悪化するかも知れないと言われ、ニトログリセリン(頓服薬)を処方されました。
言われた僕は、ものすごく驚いたし、テレビでしか見たことないニトログリセリンが本当に薬であることにさらに驚きました。
そのまま会社の独身寮に戻り、半日ほど過ごし、夜11時過ぎに歯磨きしていたとき、医者の言うう通り心臓に異変が起きました。
心臓がもんどり打っているように暴れる感覚、動悸が強く不自然な状態に襲われ、共有の洗面所から自室に慌てて戻り、ニトログリセリンを口にしました。
かつてない心臓の変な動悸と、医者に言われたとおり悪化したこと、さらには薬を飲んで治まったことで、自分は本当に狭心症なのだと受け入れざるを得ませんでした。
ですが、それで治まりませんでした。日付が変わった深夜1時ごろ、3時ごろ、4時ごろと動悸が乱れました。その度に薬を飲みましたが、4時ごろからは薬が効かないし、こんなに何錠も服用して良いものか不安になり、タクシーで総合病院に行こうと寮を出ました。
大通りまで歩いている途中、また動悸がおかしくなったので、救急に電話しました。救急の電話対応の人に、「今、最寄りの消防から出動しました。大丈夫ですよ。気持ちをしっかり持ってください。」と励まされながら、救急車の到着を待ちました。この励ましはとても有効でした。救急車が到着した時は、発作が治まっていたのですが、総合病院まで乗せてまらいました。人生で初の救急車、搬送先の病院を探すのに時間が結構かかることを体験しました。狭心症の疑いでニトログリセリン服用した症状を病院に伝えると、病院に尻込みされてた感じでした。

朝5時ごろ、病院に搬送されました。心電図、エコー検査などしている最中、医者が狭心症の確定検査のため、カテーテル検査したいと言い出しました。カテーテルは手首の血管から検査器具を入れて冠動脈付近で狭心症を誘発する薬を入れて、心臓の反応を診るものだと言っていました。僕は一人暮らしだったので、委任状が足りず、両親が到着してからということになりました。
朝6時か7時、実家に電話にして、事の次第を説明しました。
8時ごろ職場に連絡しました。僕の上司が病院の近くに住んでいたため、出勤前に立ち寄ってくれました。どのような会話をしたかは、全然覚えていません。
午前10時ごろ、トレッドミル検査(ルームランナーしながら心電図)しましたが、異常なし。
午後1時頃、両親が到着。

搬送先の病院でカテーテル検査の予定でしたが、僕が微熱が続いたので見送りになりました。
職場に休暇を申し込み、実家に戻って療養することになりました。
新幹線で東京駅まで行き、そこから高速バスで実家に帰宅しました。
その道中も何度も、胸が苦しくなり結構大変でした。母親がついていたので、気持ちは少し楽でしたが。
帰宅後も動悸が変だったので、循環器病センターで診察をうけました。
私が当時31歳なのと、心電図、胸部レントゲンで胸の幅に対して心臓が大きくなっていないという理由で、
狭心症の可能性は低いと診断されました。

しかし、血管を広げる薬と体に貼るシールを処方され、様子を見ることになりました。
薬はグレープフルーツと飲み合わせ禁止だったと記憶があります。



本社人事部と面談
僕のことが本社人事の耳に入って、本社から人事2人が僕のいた製作所に来ました。個室で2対1で面談しました。
人事曰く、
「①労災申請と②傷病手当申請の2つあるけど、どうしますか。労災申請すると労災が認められるとしても、労災認定されるまでの半年くらいは無給だよ。傷病手当にしておきなよ。」
僕は独身でしたので、半年くらいは無給でも良かったのですが、人事の言い方が僕をおもんばかって「傷病手当にしておきなよ。」と言ったように聞こえてしまったので、傷病手当を申請しました。今でもこの選択は間違いだったと思っています。
人事とどんなに関係がこじれても、労災申請すべきでした。当時の僕は、一時的な体調不良だと思っていたので仕方ないですが。

9月~12月、職場と実家で療養の繰り返し
動悸の乱れは減りましたが、左胸から左腕の肘にかけてシビレがある状態が続いていました
あまり休める仕事状況でもなかったので、また新幹線で職場近くの寮に戻り、勤務開始しました。
しかし、職場に近づいたりすると、動悸が乱れました。やせ我慢して働いて大変つらかった。
一人暮らしと仕事が辛かったので、再度、休みを取り、実家に帰宅して療養しました。
回復しては、仕事復帰しましたが、状況は同じ。僕が職場に行けないように呪われていると錯覚する状態でした。
1~2週間ごとに仕事復帰と実家で療養を繰り返しました。
循環器病センターでは24時間心電図記録、ウエストポーチにテープレコーダー入れたもので記録しました。
実家にいる時の検査だったので、異変は記録されませんでした。洞性頻脈ということでした。
循環器病センターも打つ手なしという結果で、心療内科の受診を勧められました
僕の気持ちは、こんなに動悸が乱れるし、左胸のシビレはあるのに、「心臓に異常なし」ってどういうことだと理解できませんでした。


翌年1月~3月
心療内科を初受診したところ、「軽症うつ病エピソード」と「パニック障害」と言われました。
僕は、「こんなに苦しくて軽症なの?」と思いました。
左胸のシビレなど体に影響がでることを「仮面うつ」と言う説明でした。(微熱、だるいなどが)
体重も4㎏くらい減っていたし、諸々こみでこの結果でした。
パキシルを服用開始しました
「休務加療」で1か月単位の休みが始まりました。実家で療養しました。

その後、10月か11月まで
心療内科に月に1度の通院しつつ、家の周りを散歩したり、時々、片道1.5時間の電車通勤してました。
電車通勤を克服できないので、本社近くの都内にワンルームマンションを借りました。
満員電車が辛いので、グリーン車に乗ったりしましたが、辛いものは辛いという結果でした。
一度すごいきついことがありました。総武快速の錦糸町から馬喰町の途中で地上から地下に突入した瞬間、急に動悸が強くおかしく、心臓がもんどりうっている感覚がしたので、地下空間を避けるようになりました。
この一撃が都内に引っ越す決意になりました。
薬は、パキシルから始まり、パキシル増量→パキシル+トフラミィール→パキシル+トフラミィール+ジプレキサした。
ジプレキサを服用した感想は、肩こりが和らいだ感覚になりました。




その後、1年くらい
都内に引越したことで電車通勤時間は30分くらいになりました。
会社は、1週間くらいは続けて出勤できましたが、2週目になると失速して調子が悪くなりました。
2週間休み、2週間出勤を繰り返していました。
僕がなかなか治らないので、上司が都内に評判のいい心療内科が僕のマンションの近くにあるから、
そっちに代えてみたらと言われたので、病院を変えました。
本社の産業医が言うには、最初の心療内科が連携取りづらかったとのことでした。
この2点で、病院を変えてみました。
通院は月2回で頻繁に薬の種類を変えて、どれが最適か探っていた感じでした。
薬を頻繁に変えてみましたが、これという決まり手が見つかりませんでした。
中には、服用後、布団から起き上がれないような薬もありました。
力が入らなかったというか、重力が2倍になったというか、
布団に僕がひっついていたというか、とにかく、なかなか起き上がれなかった

会社も行けたり休んだりの繰り返しでした。
左胸のシビレは続いていました。シビレが、みぞおちに届くと動悸がおかしくなりことを繰り返していました。

解雇予告1回目!
人事から僕の父親も同席するように言われ、人事と2対2で面談しました。
人事曰く、「このまま休みを使うと来年6月末で解雇になります。ご了承下さい」とのことでした。

その後、半年~
僕は1日も早く通常勤務ができるように出勤しましたが、かんばしくありませんでした。
通勤中、勤務中、左胸のシビレは続いたし、時々、動悸も強く変な感じがする状態でした
1週目は大丈夫なので、このまま大丈夫かなと思いながら2週目に突入。しかし、2週目は不調になっていく状態が続きました。頑張っても出勤が続かなかったので、出勤と休みを繰り返していました。

解雇予告2回目!
5月、そのような努力も虚しく、人事から2回目の解雇予告がでました。
僕がどう頑張っても、会社は救済しないと言われたも等しく、頑張る気持ちも折れました。
僕は会社の無理な受注案件を頑張った末、体を壊したという解釈でしたが、会社は規則に従って解雇手続きしただけでした。

このような扱いを受けるのでしたら、多忙の時、「上司から、おまえしかいないから、頑張ってくれ、何とかしてくれ」と言われても無視して、わが身を守るべきでした。そのことで解雇になったとしても、僕は無傷で他社を探した方が何倍もましでした。

そうは思っても会社に行かれなかったし、ましてや会社と言い争いができる状態でもなかったので、医師に相談して休んで終わりにすることにしました。

依願退職
休みを使い果たす日に合わせて、依願退職を申請しました
薬をたくさん服用していたせいか、夜24時ごろ就寝して朝4時に目がギンギンに覚めていた状態でした。
起きている時間が長いのとパキシル(確か、20mg×2回、朝夕)が食欲増進していたのか、1日5~6食していたので、
体重が56kgまで増加しました。治療開始前は47kgでした。

依願退職後の7月~9月は
再就職活動していました。
せっかく、書類選考が通過しても面接時に、メンタル面で自信が持ってず、アピール足りず採用見送りがつづきました。
治った感覚が全然なかったので、仕方なかったと思います。

10月~翌年9月 56㎏→51㎏へダイエット成功!
再就職ができなかったので、都内の賃貸マンションは止めて、実家に戻りました。
最初の心療内科に戻りました。

体重は47㎏から56㎏まで増加しました。血液検査したら高脂血症とか言われました
薬をたくさん飲み続けて、激太りして、全く治らず解雇されたので、通院をやめました。

いきなり断薬したので、体調が悪くなり寝たきりになりました。仕方なかったので薬を飲み始めましたが、
薬はいづれ止めたい気持ちでした。
実家にいる分には、ストレスがないので、動悸の乱れはなくなりました。左胸のシビレも徐々に減っていきました。

寝たきりならないように、1日1回の散歩から始めて徐々に増やしていきました。
1日1回、30分程度の散歩

1日2回、30分程度の散歩

1日2回、45分程度の散歩

1日3回、45分程度の散歩

社会復帰するには、8時間+通勤時間の体力が必要なので、頑張ってました
やせるためカロリー計算もして、食べるカロリーも徐々に減らしていきました。
ストレスがないので、胸のシビレも減っていき、薬も減っていきました。

1日、45分程度×3回の散歩のほかに、食事制限もしていました。
基礎代謝量を計測したところ約1100kcalでしたので、
摂取カロリーを約1100kcal前後に抑えて、運動した分がやせていくように取り組みました。
食べる量を減らすとひもじくて続かなかったので、カロリーの低い食べ物に置き換えて食事しました。
(お米→ジャガイモのように)

腹持ちが良いため大根、ニンジン、ごぼうといった根菜を食べました。
僕の感想ですが、キャベツ・レタスより根菜の方が良かったです。
お菓子よりは、果物を食べました。お菓子は大きさの割にカロリーが高い、
果物は水分と食物繊維があるせいか腹持ちが良かったです。
どうしても、お菓子が食べたかったときは、「あと1時間したら、」と自分に言い聞かせて、ごまかしていました



再就職活動
心療内科の医師と相談して、働いて良いことになりました。
転職サイト、人材紹介から複数の会社に応募しました。
軒並み、書類選考で不採用(お見送り)ばかりでした。
1年半療養したせいか、パニック障害のせいか、その両方か理由はわかりませんが、
「貴殿の今後のご活躍を祈ります」ばかりでした。
いいか悪いか、日本の人事は本音を言わないから、不採用の理由が正しくわかりませんでした
転職サイト、人材紹介の人からは、日本の古き良き企業様の人事は、働いていないブランクがあると、
それだけでダメなことが多いと言いました

4月~6月末までは、それでも自分の過去の経験から近い製品の設計を探しては応募していました。
不可ばかりでした。
6月後半から、大手企業の中途採用は諦めました。
地元の派遣会社から大手メーカー設計職に応募しました。前職をパニック障害で退職したことも伏せて。
2社からOK出ましたが、就業先を探すのに日数がかかりました。
1か月くらい話が進まず、ダメだったかと思いましたが、8月下旬から就業先との面談の話が進みました。
就業先と面談までたどり着いたのは1社、面談は9月上旬でした。
幸いにして、当日その場でOKが出ました。就業開始は10月1日からとなりました。


2010年10月~2010年12月末(社会復帰1回目)
大手メーカーの子会社の設計に派遣で勤務しました。
製品が今までとジャンルが異なり新鮮でした。

勤務して気付いたのは、意外と僕が治っていなかったことでした。
「この図面、今日中に仕上げて」の何気ない一言に、僕が焦って、動悸が強く速くなった。
軽く目まいをしたりしました

残業していたら、結構、しんどかったりしました。

前職を辞めた理由を隠していたので、周囲に悟られないように顔に出さないようにしていました
建屋の1階だったので、外に出て深呼吸したり、周囲に気付かれないように薬を飲んだりしました。
都内の心療内科で処方されたパニック障害を起きた時に飲む頓服薬(確か、ユーパン)を飲みました。
すぐ効くときと効かないときがありました。
飲むと10分~20分後に、あくびが数回出ました。緊張をほぐすのでしょう。

新製品の開発案件でしたが、僕が参加したときには、スケジュール遅れ気味でした。
僕は、しんどいことを言えずに仕事頑張っていました。
電車通勤がパニック障害に悪影響だったので、職場に歩いて行けるところにワンルームを借りました

そのように毎日なんとか過ごしていましたが、12月中旬、
技術センター長が製品の共同開発している会社に打ち合わせに行った際、
突如「開発を止める」と発言しました。
電話会議で会話を聞いていた僕も含め留守番組は、唖然。
相手企業さんも驚愕、紛糾。相手企業さんもその場で判断できないと打合せ終了でした。


理由が何だったのかわかりませんでした。
打合せから戻ってきたセンター長が僕に直接言いました。
「君の会社に1月~3月の契約更新しているが、開発を正式にやめることになった場合、派遣契約を途中で止めるから、ごめん。」
とのことでした。なりふり構っていられなかったのでしょうが、凄い内容でした。

派遣会社の仕組みをご存知なかったから、営業を通さずに僕に直接言ってしまったのでしょうが。
12月下旬、派遣会社から1月~3月の契約更新するか話がありましたが、僕は更新しませんでした。
僕自身がしんどい状況で、開発スケジュールの遅れを挽回すべく正社員の方と取り組んでいましたが、
契約を途中で止める前提の契約更新に望めなかった、契約書にサインする気にとてもならかったので



2011年1月~6月中旬
新年早々から再就職活動。
去年の3か月働いたことが社会復帰できた実績だと思った僕は、企業に中途採用で応募しまくりましたが、
前回同様、「貴殿の採用をお見送り……」ばかりでした。僕は社会復帰できたつもりでしたが、
日本の古き良きメーカーの人事には、そうは思われなかったようでした。
また、メーカー直接雇用は諦めモードになり、派遣も含めて応募しました。

それと同時に、最初に勤務した会社の対応が悪いと思っていたので、僕が体調悪くしたときの設計部のGMに、
僕を救済して頂きたいと手紙をおくりました。2週間くらいして出た回答が、

「いろいろ当たってみたが、君の力になれない。」とのことでした。
散々、会社のため設計部のため、僕は地方都市と東京の日帰り出張や時間外労働を2か月続けて100時間超えしたのに。
あの会社は僕のために無理をしなかった。心底うんざりしました。

この回答もってして、この職場の人たちとの付き合いを止めました。
僕が退職した後も、年賀状のやり取りは続けてましたが。
(僕がこの理由を告げずに付き合いを止めたので、気分を害した人もいらしたと思いすが)

仕方がないと思えませんでしたが、自分で仕事に応募→採用見送りを繰り返していました。
そのように過ごしていた中、3月11日、東日本震災。震災後は求人が激減しました。
6月に求人が出始めたので派遣で応募、採用されました。
この会社の親会社は、中途採用で不可だったところでした。内心は面白くなかったのでしたが、派遣契約しました。

2011年6月下旬~9月末(社会復帰2回目)
機械メーカーの子会社の設計で、派遣社員を開始しました。
ここで初めて「うつ病」の症状を経験しました。
今迄は、パニック障害に悩んでいましたが、今回はうつ病が主でした。
(数年前に軽症うつ病エピソードと診断されましたが、その時はうつ病の実感は全くありませんでした)
僕とパソコン画面の間に「分厚い透明なクッション」のようなものがあって、僕が仕事に取り組むのを邪魔していた感覚でした。
なぜか、頭が回らなかった。ポカミスが多かった。僕は真剣に図面・部品表をチェックしていたのですが、
結構ひどいポカミスもありました。僕はポカミスのひどさに、初めて「就業先に申し訳ない」と思ったほどでした。
理由はわかりませんが、頭が思考停止!仕事に取り組むのですが、何かに阻害・妨害されていた感覚ばかりでした。
自分が持っていた能力が出せなかった。不思議な状態でした。

震災後の夏の電力対策で、会社の平日の消費電力を減らすため、休日を土日から平日に変更、
さらに隔週で週休3日にするため、定時を1時間くらい延長されました

そこから残業開始という就業時間に変更されたと思います。(正確なことは忘れましたが)
この時間変更が僕には、とても厳しかった。週休2日、隔週で3日あっても回復が全然できなかった。
帰宅後、お風呂洗う余裕もなかったので、ずっとシャワーでした。夏だから、それでも良かったのですが。
1人暮らしだったので、身の回りのことをかろうじて1人でやっていました。非常につらかった。





8月のお盆休み休み後、朝方、胸が熱く苦しくて目が覚めました。動悸も早かったので、部屋にいて、
なぜパニック起こしていたのか、わかりませんでした
。胸がやたらと痛い熱かったので、会社を休んで病院に
いきました。心電図をとっても異常なしでした。医師が心臓の後ろに食道があるから、念のため後日に胃カメラ検査
しましょうということになりました
。検査の予約をして帰宅。しかし、胸が痛い熱いが続きました。あまりに辛かったので、
翌日も休みました。結局、検査当日まで全部休みました。毎朝、職場に電話するのも、非常に辛かったでした。

検査当日の検査1時間前に、派遣会社の営業から「僕の次期契約更新はない」と連絡がありました
原因が精神的なことであろうがなかろうが、契約更新しないという判断、1週間休んだし、仕方ないと思い、
すんなり了解しまいた。

検査の結果は「逆流性胃食道裂孔ヘルニア」でした
僕が心配していた精神的なものでなくて、安心しました。
てっきり、僕の気持ちのせいで「胃潰瘍」とかになったのかた思っていたので。
胃酸を抑える薬をもらったところ、確かにすぐよくなりました。

就業先に結果を伝えたところ、精神的なことではなかったのかという驚きの顔をしていましたが、契約が伸びる
ことはありませんでした。
僕もポカミスが多かったので、「契約更新お願いします」とまで言う気になりませんでした。
9月上旬には、勤務時間が普通に戻りました。
その後、9月下旬まで勤務して、職場の皆さんにご挨拶して、お仕舞いでした。




















2011年10月~2012年3月末(社会復帰3回目)
設計の派遣が終わった後、設計で仕事を探さず、父親が務める土木現場にアルバイトしました。
デスクワークがダメなのかなと思ったのと、また探すのに日数がかかるのが嫌だったので。
ですが、土木現場でアルバイトしたことで、自分の症状について意外と多くの事がわかりました。

肉体労働(スコップ作業など)は、肉体疲労からうつ病が再発して、やたらと体がしんどかった。
なれないことで疲れたのとは異なる感覚、体を動かすことに抵抗感がありました。
雨で現場が休みになったときは、すごい助かりました。日給月給なので収入は減りましたが。

②1番大きな発見は、道路に沿って幅が狭くて深い穴に降りて、配管を設置した作業のときでした。
はしごで穴の底まで降りて、1,2歩歩きだした瞬間、動悸がとても強く心臓が暴れる感覚になりました。
びっくりした僕は急いで、はしごを上りました。頭がアスファルトより出たところで、その発作がピタッと
止みました。僕は気のせいだったのかと思って、再度はしごを降りました。やはり1,2歩歩くとまた動悸が
強くなりました。気のせいでないと思って、はしごを上がってアスファルトの上に出ました。

この経験で初めて、僕の気持ちの持ち方ではなくて、体が周囲の状況に反応して、心臓が暴れる感覚に
なっていたとわかりました。

「この図面を今日中に」と言われて、僕が焦って動悸が早くなったこともありましたが、
体が拒否反応したときは、動悸の強さのレベルが何倍も大きかった。2005年8月、僕が初めて発作したときのレベルでした。
この時、体が何に強く拒否反応したのか、わかりませんでしたが、この後も再発した状況から、幅が狭いところにいたこと
でした。

③U字溝を設置したとき、U字溝どうしのスキマにセメントを詰める作業のとき、1cmくらいのスキマにセメントを詰め続ける
作業が意外にも神経を使ってストレスがたまり、うつ病を起こしました。2日目は作業初日より、仕事の速度が遅くなっていました。
普通は、慣れて早くなるのですが。

これらの経験で、
僕の気持ちが「パニック障害」と「うつ病」を起こしたのではなくて、体が周囲の状況やストレスに反応したことによるものだったと分かりました。しかも、体が拒否反応した場合は、気持ちが焦った場合より何倍もひどいということも。














2012年4月~2014年12月末(社会復帰4回目)
土木現場の肉体労働が僕のうつ病に悪かったので、派遣会社で仕事を探しました。
「機械設計図面を読解できること」という応募条件が実家の近くにあったので、応募しました。

4月1日から派遣契約を開始しました。
設計部は穏やかな日々で手順書に従って作業していれば良くて、僕にはいい環境でした。正直なところ、僕を増員しなくても、良いのではないかと思ったほどでした。

1日に残業2時間を1週間通してやってみましたが、体調崩れ出したので、残業に挑むのは止めて、ここを長く続けることに気持ちを変えました。

1年くらい、ほぼ定時で帰っていましたが、設計の負荷が増えた時、部長から直々に「残業せめて月に40時間」と言われました。
その日の夕食時、僕は両親にその事を告げ、とてもできない状況だから、契約を止めるかもと話しました。
翌日、部長・副部長・課長・ベテラン社員に僕のこれまでの経緯、ふつうに頑張れないから派遣をしていることを告げ、契約終了で構いませんと言いました。
意外なことに、病気に理解があり、これまで通り「僕のできる範囲で仕事してよい」と回答がありました。
僕は初めて、理解があって寛大な人たちに会ったと思いました。とてもありがたいと思いました。


2年くらいしたある日、職場の消防設備の点検がありました。
職場のフロアーは壁で仕切りがなく、フロアー中央部は上階と吹き抜けでつながっていて解放感がある構造でした。
点検の時に点検者が誤って防火シャッターを降ろしてしまいました。天井から床に向かってシャッターが降りて、僕がいる側が広さ1/3くらいで密閉されてしまいました。密閉されてから1~2分後、動悸がすごい強くなり出しました。

自分で落ち着くように言い聞かせてましたが、あまり落ち着かず、この数年は大丈夫だったので、薬も持っておらず、
とても困りました。部長席の後ろの窓を開けさせてもらい、窓から外を見て、僕が密閉されていることから気をそらすように
しました。そうこうしている間に防火シャッターが上がりだしたので、僕も落ち着き始めましたが、体が拒否反応を示したので
その後も辛かった。玄関から外に出て、深呼吸しましたが、あまり効果なく医務室に行きました。血圧を測ったら、上が140くらいありました。普段は上が100台なので。これで目まいの正体がわかりました。急に血圧が上昇したことで目まいを起こしていたと。僕の想像では、体が拒否反応した時は交感神経が活発になり、血管が細くなり血圧上昇を毎回起こしていたのだと。
その日は医務室で休憩後、早退しました。

幸いにも直ぐに回復して、翌日も出社できました。しかし、フロアーに入って30分くらいは、足が少し震えていました。体がこわばってしまった。仕事中も少し辛かった。だるさが上乗せされた感じでした。これが1週間くらい続きました。

その後も、設計の負荷は高い状態が続いていました。
僕が頑張れない理由を広げたら、「そんな派遣は契約を止めてしまえ」と言う人もいたかも知れなかったし、人事の耳に入ったらマズイので、僕は言わずに残業続けたり休日出勤しましたが、体調が一気に崩れ出したので、契約期間中に貯めていた有給を消化して契約満了でお仕舞いにしました。当然、診断書を添えてですが。(僕は派遣会社の正社員でもなかったので、契約期間中しか有給使えなかったので)

2016年7月~2017年5月末(社会復帰5回目)
他県に引っ越して派遣社員をしました。
「残業ほぼなし」の条件を第一にして探しました。時給は前職より下がりました。

設計と製品試験の仕事でした。就業先が残業を極力しないという取り組みだったので、とても良かったでした。
勤務時間は忙しいかったですが、派遣は定時でぴしゃっと帰れたので満足でした。

昼休みに「自律神経のバランスを整えるCD」を聞きながら昼寝していました。

この9か月間は、パニック障害になってからで最高に体調が良かった。
治ったのかと錯覚するほどでした。


ただ、夏、作業所がとても暑かった、室内なのに37℃。大きなクーラー使ってましたが、建物内にいきわたらなかった。
この暑さに目まいを起こすようなりました。10月になって気温が27℃とか一瞬なったときも、目まい再発。
部屋でも暖房が強いと目まいを再発しました。体が暑さに拒否反応するようになりました。

「自律神経のバランスを整えるCD」は今でも時々聞いてます。
寝ちゃいそうになる音楽が体・神経の緊張をほぐして、いい効果なのだろうと思います。


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